山崎忠昭プロフィール 

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初めまして。谷川流足圧サロン双 代表の山崎忠昭と申します。

 

ここでは私の経歴について少しお話させて頂ければと思います。

長くなりますが、宜しければお付き合い下さい。 

 

 

スポーツに明け暮れた学生時代

 

 

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中学、高校と陸上競技をしました。種目はやり投げ。まだまだマイナーなスポーツなので、見慣れていない方も多いかもしれません。元々一番楽な部活に入ろうと思って入部した陸上部でしたが、私が入部した直後に顧問の先生が変わり、私が思い描いていた世界とは真逆の世界となりました(笑)

誰から見ても〇クザにしか見えない見た目の顧問の先生。見た目通り練習は毎日地獄のような毎日でした。

 

私が入部した当初はとても弱いチームでしたが、顧問の先生が変わり、環境が一変した事により、チームの戦績も一気に変わっていきました。1年目には県大会総合優勝、2年目には東海地区総合優勝。3年目には6名もの部員が全国大会に出場し、その内円盤投げでアベック優勝を果たす程、強いチームに変わっていました。私自身も3年目にして、初めての全国大会に出場させて頂きました。結果は予選落ちで終わりましたが、県内では常に優勝させて頂ける程の実力が気づいたら備わっていました。

 

地獄のような毎日の訓練でしたが、鬼のような顧問の指導の中にも愛情がありました。今思うとすごい指導者に恵まれていたんだと思います。何一つ取柄のない自分でしたが、すごい指導者のおかけで、気づけば少しばかり自分に自信を持てるようになっていました。

  

 

大学ではアメリカンフットボールの道へ

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 高校生活も終盤に差し掛かり、卒業後の就職先も決まっていた矢先に大きな出会いがありました。クラブの練習に愛知県の名城大学のアメリカンフットボールのコーチの方が視察に見えていました。選手のスカウトに来ていたのです。何名かの選手に声がかかり、私のところにも声がかかりました。しかし就職先も決まっていた事もあり当然お断りをしました。しかしそのコーチからその後も何度も連絡があり、根負けをし、とうとうアメフトの道を志す事となりました。

 

人生の最大のどん底の経験

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陸上競技とは違い、アメフトは完全な団体競技。個人競技とはまるで何もかもが違い、今までやってきた事が全て覆されるような困難がたくさんありました。基本的なルールを覚えたり、毎日の練習をこなすだけで精一杯。今までになかった厳しい上下関係や、団体生活など慣れない事ばかりでした。大学1、2年生時代は何をやっても上手くいかず、チームにもたくさん迷惑をかけ、自暴自棄の時期がたくさんありました。気づけば人間関係も上手くいかず、この時が一番自分にとって辛い時期でもありました。

 

 

人生初めての死と向き合った瞬間

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練習中のある日、あまりにも体が疲れすぎており、普段は練習を休む事など許されない環境でしたが、『顔色が悪い』と先輩から早退するように言われました。家に帰り、お風呂に入る余裕もなく、こたつで寝ていたその日の早朝、お腹が突然尋常じゃないぐらいの痛みが襲ってきました。痛さを通り越してうまく息もできなくなってきました。呼吸ができなくなり、意識が朦朧とし、この時初めて『このまま死んでしまうんだ』と本気で思いました。立っていられなくなり、目の前が暗くなり始めてきたぐらいで、ふと大切な人たちの顔が浮かんできました。1秒でももがいて、最後まで生き抜いてやると思い、残りの力を振り絞りその場で大声で叫びました。するとできなかった息がほんの少しだけできるようになったのを覚えています。当時寮生活だったので、この叫びを聞いてチームメイトが慌てて飛び起きてくれました。救急車を待っている時間さえ余儀ない状態と思ったのかすぐに車を回してくれ、そのまま日赤病院まで運んでくれました。病院についた頃には意識が無くなっていました。

 

気が付いて目を開けると、三重県にいるはずの両親が目に涙を浮かべ、目の前にいました。この時初めて死なずに、命が助かったんだと確認しました。倒れた原因は極度の疲労と脱水症状、胃腸風邪にもかかっていたそうです。自分の体の状態もはっきりと分からない状態だったのだと思います。

この時の両親の心配そうな顔を見てから、私の中で少しずつ変化がありました。

 

『何のための自分の命なんだろう』、『自分にとっての幸せ、本当に大切なものとは何なんだろうか』など、人生や命、本当に大切なものについて深く考えるようになっていきました。この時の経験が、私の現在の健康に対する考え方に大きな影響を及ぼしているんだと思います。

 

 

社会人。不動産業、健康産業での経験

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大学4年間、素敵な仲間に支えられ、4年生の時には東海オールスター選手にも選んで頂く事ができました。大学を卒業し、初めての就職は大手不動産会社に入社しました。アパートの建築営業や部屋の管理などに携わりました。1年間半そこで働き、転勤が多かった為、退職をすることを決め、次に地元で働ける健康産業(高級寝具や化粧品、サプリメントの販売)の会社に入社しました。

安易な気持ちで入った会社でしたが、恐ろしい程のきついノルマに厳しい社風でした。たくさん失敗もし、悔しい思いもし、挑戦をし、成功をし、約8年間勤めました。高級寝具の販売のアフターケアとして、簡単なマッサージがあり、そこが私の『施術をする』という事の始まりでした。

 

 

師匠との出会い

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約8年間勤めてきましたが、また体を壊すぐらい働いてきたので、一度考え直し、自分を見つめなおそうと思い、退職する事としました。退職をし、ぶらぶらしていたある日、知人から会わせたい人がいると、言われそこで初めて谷川流足圧の創立者でもある谷川師匠と初めて出会いました。

元々足圧に興味があった訳ではありませんでしたが、師匠の人柄に惚れ、足圧を習ってみようかなと決めました。授業は想像以上に楽しく、あっという間に時間が過ぎていったように思います。また授業の後半ぐらいから、ひしひしとこの技術の凄さを感じるようになり、本格的に事業としてやっていこうという頭になっていました。

 

 

2017年5月いよいよスタート

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2017年の5月に資格を取り終わり、そのままの流れで開業をしました。当時も巷にはリラクゼーションサロンや整体、接骨院やマッサージ店などは星の数あり、この業種で経験値がない中生きていくのは、無謀であり、当然大きな不安もありました。しかし、その不安を上回るほどの『谷川流足圧』に対しての確信もありました。

 

開業して間もなく5年が経とうとしていますが、たくさんの方にご来店頂けるようになりました。日々お客様に支えられて今日があります。本当に感謝の思いで一杯です。

 

私は業界人としてはまだまだ経験も、実績も浅い人間ですが、それでも太鼓判を押して下さる方たちがいます。その方たちのもっと期待にお応えする為にも、常に一番を目指して自分自身を磨き続けていきたいと思っています。 

 

足圧を普及していく想い

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足圧は踏まれる側はもちろん、踏む側も足やお尻の筋肉を使う事から、元気になっていくのです。足圧が普及すればする程、健康な方たちが増えていく。そして国の医療費削減に少しでも貢献できます。これが私たちの使命であり、生きがいです。

 

また現在では9名ものお弟子さんもどでき、各地域で活躍してくれています。しかしながら、まだまだ認知度の低い足圧です。一人でも多くの方にこの施術を受けた後の感動を体感して頂きたいです。全国、世界で『足圧』が誰でも知っている世の中になるお手伝いをするべく、一つ一つのご縁を大切にし、いろんな場所に足を運んでいきたいと思います。 

 

 

 

長文目を通して頂き有難う御座いました。